つぶやき その5

6月末に北海道札幌へ飛びました。

10月9日〜10日に開催される日本看護技術学会第19回学術集会のキーセッションの撮影のためにです。このキーセッションのテーマは「看取りの美学」で、札幌麻酔クリニックの副院長の金谷潤子先生の講演です。

 在宅医の金谷潤子先生の語る「看取りの美学」を縦糸とするならば、長年にわたり、ケアマネージャーおよび訪問看護師として多くの経験を持つ佐々木詩子先生の語りは横糸であったと思う。在宅医と訪問看護師がそれぞれの立場で、また異なる土地でのケアの語りではあるが、美しい織物を紡ぐような対談であったと感じた。金谷潤子先生の語りの中には、医療の対象者を「疾患を持つ人」として捉えるのではなく、「生活者」として捉え、日常生活の中で在宅医療が行われるという考え方が述べられ、それはまさしく、これからの看護教育が目指す「地域・在宅看護」の対象者の捉え方と共通するものであった。この内容は、金谷先生が、話題の提供をしているという「はっぴーえんど」(魚戸おさむ)の内容とも重なる。そもそも「人の死」というものの捉え方が自然なのである。「ゆっくり枯れていくように」死を迎え、下顎呼吸を、「産まれてくるとき産道を無我夢中で通り、この世に生まれてくる」ことと同じように、「あの世で生まれるために無我夢中で息継ぎをしている状態」と表現している。「死は特別なものではない、いつも日常にある、尊い区切りである」とFacebookで述べられていた。金谷先生の死生観の表現かもしれない。「誰も経験したことのないあの世」ではあるが、この表現に私自身を含め多くの人は救われ、納得するのではないかと感じた。

 また、「聴覚」についての話題も印象的である。療養者さんは最期の瞬間まで「聴覚」が機能していることや、生活の中で発生する音は、決して療養者にとって耳障りなものではなく、家族の話し声、テレビの音、洗い物をする音、足音、そして時には子どもの泣き声さえも、「生」を無意識に感じることができる心地良い音であるということが、金谷先生と佐々木先生から語られた。時には、具体的な療養者さんの言葉などを交えながら、あっという間の60分間であった。

 二人の語りは心地よく、語りを通して調和が創り出された時間であった。できればもう少しその場で調和された時間を過ごしたいと強く感じた。  後日談として、札幌から暑い暑い名古屋に戻り、コロナウィルス のワクチン2回目を摂取した私は、高熱に苦しんでいました。その時に、金谷先生から紹介されて、「はっぴーえんど」の作者である魚戸おさむ先生とお友達になることができました。とても気さくな先生で、どんどんPRに使ってもらって良いですよと、許可をいただきました。

はっぴーえんど ー新型コロナ編ー